開封を妨げる文字の力

印鑑イメージ

「印を結ぶ」という言葉があります。この場合の「印」は判子の意味ではなく仏教用語の一つであって「印を結ぶ」は「手、指を種の形に組んで仏、菩薩の悟りの内容を表すもの」なのだそうです。

そしてそれぞれの印の形を印相(いんそう)と言い、私達もよく知っている合唱や座禅で組んだ両足の上に乗せるあの手のひらの形等がそう呼ばれています。(ちなみに座禅の時の手は法界定印というそうです)

実物を見る機会はあまりないのですが、本などで色々な如来増や菩薩増をよく見るとそれぞれに手、指の形が全く違い、意味もまた異なるという事を死って新鮮な驚きがあります。

それでは同じ「印」という文字を使っている印鑑などとは共通点は何かないのでしょうか?
私は、両者共に何かあらそう為の「しるし」または「記号」として使っているところが共通しているのではないかと思います。

姓名が彫られた銀行印は、「この通帳は本人のものです」と証明をしているし、座禅を組む時の法界定印は瞑想や悟りの境地を表すのだそうでう。
その上文字自体にも呪力があると思われていたので、印章が護符として使われていました。

開封を妨げる文字の力を信じていた時代の名残で、今でも役所からの手紙には「封印」がしてあり、現金書留には印を何箇所も捺するのだという事を知りました。

仏教用語としての「印」と印鑑としての「印」表面的な使われ方は違うのに、中のほうではつながっている。
「印」と付くもののつながりの深さを強く感じるとは思いませんか?

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